Special

『あなたたちはあちら、わたしはこちら』
大野左紀子(著者)×真魚八重子(映画文筆業)対談

女性が出演する映画を読み解いていくスタイルの本書ですが、先行する類書として、2014年11月に発売された真魚八重子さんによる『映画系女子がゆく!』があります。年齢を重ねた女性の出演する作品を取り上げる本書に対して、真魚さんの著作は文化系女子からスタートして若い女性をめぐる問題に切り込んでいき、独自の視点が多くの読者から共感を得ています。そんな映画文筆業・真魚さんをお迎えして、互いの著作について感想を交換するとともに、映画について語り合って頂きました。

Part.1
女性の問題、みんなそういうのに興味があるんだなあと実感しました(真魚)





大 私、真魚さんのお名前はかなり前から存じ上げてまして、「はてなダイアリー」で映画レビューを書かれているのを初めて見たのが、2005年か2006年くらいです。プロフィールに派遣社員とお書きになってた頃だと思うんですが、非常に守備範囲の広い方だなあと、ちょっとこの人は只者じゃないと思っていました。『映画系女子がゆく! 』のネット連載が始まった時も、もちろん最初から読んでます。とても話題になってましたよね。なので本のほうで、また改めて通読しました。

真 ありがとうございます。

大 普段お書きになってる『映画秘宝』とか、紙媒体で書かれているのは、すみません、読んだことがないんです。そちらで書かれているものとは……。

真 『映画系女子がゆく!』とはまったく違う内容ですね。

大 ええ。そういう意味では、真魚さんの半分しか私は存じあげていないですね。ブログのほうでホラー映画などを取り上げてらっしゃるのは読んだんですが、実は私ホラーが苦手で。もちろん観たことはあるんですけど、単純に、怖いんです。

真 それはスプラッターですか、幽霊ですか。

大 どちらかと言うと幽霊のほうが怖いですね。

真 ほお、そうですか。

大 血はそれほどでもないんですが。あと、観ていて受けたショックが、ずっと後に尾を引いてしまって、夜、恐ろしくて寝られないとかそういう感じになるんです。

真 突然の効果音で飛び上がるとかじゃなく?

大 音なのか、映像なのかはあんまり深く考えたことないですけど……。

真 私は苦手なものが少ないのでなんでも観るし、『映画秘宝』は男性読者がメインの雑誌なので、そこは割とおちゃらけた感じで、男性好みの映画について書くわけですが、そういうことも好きなんです。でも、ブログで書いてたものは素に近い自分が好きな映画で、本当に思ったことを書いてました。何の制約もないですからね、文字数とか、誰に向かって書くとか、そういうのがないので、ブログが一番素に近くて。『映画系女子がゆく!』は、青弓社さんから依頼された企画で、「女子ブームだから映画を通して女子について書いてください」みたいな、わかりやすい要求でした(笑)。でも(そういうのもありか)と思って、最初はどうしたものかなと手探りな感じで始めたんですけど、twitterが流行っていたこともあって、リアルタイムでガンガン広まっていっちゃったので、ああ、こういうものは反響が大きいんだなって。特に女性の問題、みんなそういうのに今興味があるんだなあということを、この本を書いて実感しました。

大 「文化系女子」という言葉が出てきたのが、2006年くらいだったと思います。『ダ・ヴィンチ』で、男の子目線で「僕らは文化系女子が好き」みたいなのがあり、それから『ユリイカ』が……。

真 あ、『ユリイカ』のほうが先です。「文化系女子カタログ」っていう特集を出して。それが私の商業誌デビューかもしれない。

大 そうでしたか。ネット上でも文化系女子と言われる人たちからの「萌え目線で見ないで欲しい」っていう反発がありました。あの辺りから何々系女子という言葉が蔓延していって、その言い方もいい加減いいんじゃないかとも思いますが、でも、女子という言葉以前に、若い女性が社会の中で一番さまざまな欲望に晒されやすいってことは、やはりあるんだと思います。だから若い女性の話題については、年代・性別問わずみんな読みたがる。で、『映画系女子がゆく!』ですけど、少しずつパースペクティブを変えながら、若い女性を巡る様々な出来事に多面的に光を当てていくというスタイルが、とても新鮮でした。それと、やっぱり途方もない数の映画を観ていらっしゃるので、ワンテーマ出した時に頭の中にザーッと点と点を結んだ地図みたいなものが出てきて、その中から一般読者に分かりやすい線で結ばれた図を示すことがお出来になるんだろうなと。そこが凄いなと、本当に素直に感じました。

真 そうですね、頭の中に特殊な見出しの引き出しがあるというか。あるシーンに関して、似た要素の出てくる映画を分別した引き出しがある感じなんです。「井戸に入る映画」とか変なのがいっぱいあるんですけど(笑)、なので、女が鬱陶しいことをする映画について書くなら、頭の中の「女が面倒臭い映画」って引き出しの中から出してくるという感じで。あとは、あんまり同じような映画ばかり集めても面白くないから、邦画と洋画にするとか、なんかとっちらかってるほうが好きなんですよね。だから、そうなってます。

大 読んでから、これは観てなかったなと思って後から観た映画も意外とありました。ネット連載の読者も、そんなに映画に詳しい人ばかりじゃないでしょうし、紹介されている中で観てみようと思った映画はたくさんあったと思います。ただそれよりも、映画批評の合間合間に書かれている女子の自意識の問題とか、セックスの問題についての真魚さんの言葉が、非常に刺さるものがあるんですね。書き手の体を通過してるような言葉から映画のほうに引き込んでくるという、そういうかたちでの文章の吸引力があると思いました。



堕ちていく女の人に対しても、堕ちないでとは簡単には言えなくて(真魚)

真 なんか特殊な感じはしなかったですか?

大 と言いますと?

真 私が変だから、なんか変な女性が出てくるみたいな。

大 いや、書き手がまず全体を見渡せるところに自分をおいて、その上で、自分が過去に歩いてきた道を少し下の世代の女性たちにガイドしてあげる優しさがあって、非常にニュートラルな感じに読めましたね。ただ変な感じというのじゃないんですけど、こんな言い方は失礼かもしれませんが、異様に鋭い言葉があるというか、『害虫』について書かれていたところの、最後の締めの文句なんかがそうでした。私はこういう言葉は書けないなと。普通に映画のわかりやすいガイドとして読んできて、ところどころにそういう言葉があるんですね。

真 普通に映画評を書いていても面白くないというか、私が書きたいと志しているのは美しい文章だったりもするので、映画を正しく批評することと同時に、美しい言葉が書きたいなと思って、ちょっとポエムになっちゃうというか。『害虫』についてのラストもそうなんですけど、「彼女の目は斧だ」とか、そういう表現になるんです。

大 そうですね。そういう詩的な表現が散りばめられてるのが印象的で、ふっと書き手に対する興味をそそるところもありますね。あの「堕とされる前に、堕ちてやる。」っていうのは凄いなと。

真 私は諦観、諦めの感覚とか、絶望というのも凄くあって、それとの闘いの本でもあるんだけれども、だから堕ちていく女の人に対しても、堕ちないでとは簡単には言えなくて、堕ちる女の人も美しいと思う部分があって。まあ現実の堕落じゃなく、所詮映画の虚構ですしね。だから、そういうのを美しく書いてあげたいなあと思ったのがその章ですね。

大 なるほど。一方で『ブラックスワン』は、もっと違ったラストがあったんじゃないかと書かれてますけど、あれは……。

真 あれはほんとに可哀想だなと思ったんです、やっぱり。あんなに努力したのに、意地悪な話にするなあと感じて。映画なので、他のオチのつけようもあったと思うんです。監督のさじ加減一つで助けることもできる。でもこれは不幸にしてやるっていう感じがあって。助けてあげたかったなと、純粋に思いました。

大 そうですか。私は、悲劇的なラストにすることで、彼女が獲得しようとしたものとか、彼女の中の分裂が、より美しくかけがえのないものとして観客の中に残るという気がしたんですね。なので、ハッピーエンドになるとまたガラリと違う印象を受けるんじゃないかと。

真 私は、ブラックスワンも白鳥も、両方出来る女性になればいいと思ったんですね。でもあの映画は、ヒロインの中に、黒鳥を演じることは処罰が伴うっていう強迫観念があるオチになっていて。別にいいじゃないか、処女が黒鳥を演じるように成長したって、というふうに思って観てました。

大 ああ、黒鳥を演じることが処罰になってしまうという見方なんですね。なるほど。あと共感したところは、第二章の『ゴーストワールド』と『放浪記』のところで書かれている、女性の自意識とか才能と、それについてこない容姿の問題。これは誰しも感じていることだと思うんですけど、書きにくいことをよく書いて下さったなと思いました。

真 誰もが認めるような美人のお友達がいるんですけど、彼女は創作活動をやりたいのに、才能よりも顔のほうが勝ってるっていう自覚があって、それを書いてくれたのが嬉しいって言われましたね。書いてみるもんだなって思いました、それは。



自分自身は悲観的な人間だけれども、他の女の人たちには幸せでいて欲しい(真魚)

大 本の後半のほうでは、特に文化系女子にこだわらず、女性全体の問題になってますね。

真 さすがに文化系女子だけでは一冊持たなくて。そんなに私も文化系女子に興味があるわけではなかったので、それで女全体について書くようになっていきました。だから後半は、女性論という感じになっていますね。WEB連載は途中までで、後半は書き下ろしなので、書き下ろしは発売まで人目に触れないから、好きに書いちゃえってところもあって。

大 WEB連載のほうは、たとえば編集者からもっとこんな感じにといったリクエストなどはあったんですか。

真 反響が結構来ちゃうから、私がそれを読んじゃうんですよね。友人たちからは無視しろって言われてたんですけど、どうしても読んで気になっちゃって。あんまりこういうこと言うと嫌われるなとか、逆に刺激的なこと書いちゃえと思ったりとか、割とリアクションを見つつ書いちゃったのがWEB連載でしたね。いままでそんなに反響を受けたことがなかったので。『映画秘宝』で書いてても、別になんにも読者から言われたことないし。こんなにリアクションがあったのは、この本のWEB連載が初めてでした。

大 やっぱり女について語ると、必ずありますね。

真 そうですね、女性からも批判はあったし。

大 批判もあったんですか。

真 ありましたね。「ぜんぜん共感できない」とか。『ゴーストワールド』のところも、「『ゴーストワールド』はハッピーエンドだろ」とか。

大 えっ……。

真 びっくりしますよね。でも結構多かったんですよ。

大 そうなんだ……。あのラストはちょっと愕然とするというか、ああこういうふうに終わらせるんだっていう落とされ方でしたが……

真 そうですよね。でもあれをハッピーエンドだって言う人は多くて。そのハッピーエンド派と、「あれはバッドエンドだろ」派で、結構キャンキャンやったりしてましたね。

大 そうですか。まあでも結末の解釈というものはいろいろあって、どういう結末を見るかっていうところにその人の……

真 その人の願望とかもあるし。

大 そうですね。もともとブログのほうの記事を読ませて頂いていた時は、非常にクリアカットなというか、クールにスパスパッと要点を捉えて小気味よく語るという印象が強かったので、むしろ本はあちこちに気遣いというか優しい感じが滲み出てる印象をとてもうけました。

真 やっぱり、ブログはただの映画評なので、女について書くとかは何もないですから。本当にただ映画について書いてただけなので。でも『映画系女子がゆく!』は女性に向けて書いてもいたから、私は自分自身は悲観的な人間だけれども、他の女の人たちには幸せでいて欲しいというのがあって。だから、悪く考えないでなんとか楽になって欲しいなっていうふうに、自然となっていきましたね、書いてるうちに。呪いをかけてやるとかじゃなく。

大 (笑)。

真 「私はダメかも知れないけど、あなたたちは浮上して下さい」っていう気持ちが(笑)。

大 でもこの本は凄く読まれていて、割とすぐに重版かかってるんですよね。

真 そうですね、お蔭様ですぐに重版がかかって。また近々もう一回かかる予定です。

大 こういう種類の、女性というフレームを通して書くことは、これっきりだなって感じですか? それとも、もうちょっと書いてみたいですか?

真 依頼はあるんですけど、この本に一度書いたことを、もう一回書く気分にはなかなかなれないです。

大 たしかに同じことは書けないですよね。それに映画は次から次へと公開されて、たとえば、真魚さんのお仕事だと試写会なんかもしょっちゅうあって、行かなくちゃいけない。

真 試写へ行って新作について書きつつなので、結構大変ですね。

大 その中でまたしばらく経つと書くテーマや材料が溜まってきて、っていうことはあるでしょうね。

真 そうですね。書きたい映画っていうのはまた出てきますよね。あと古い映画も、まだまだ観てないのがあって、そういうのを観て書きたいという思いもあるし、あとはこの本向きじゃなかったので書かなかったテーマもあるし。ただ、女性論っていうのはもう、あんまりいいかなっていうのはありますね。



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